「ユウキのハピネス旅」終了のお知らせ

多摩エネ協は、昨年5月、桜美林大学を卒業(2015年度)したばかりの本田悠喜君を「特派ライター」として日本一周の旅に送り出しました。本田君が、次の挑戦を模索していた若者だったからです。

私たちエネ協には、インターネット応援サイト「gooddo」に参加し、1年間皆様がクリックし続けた結果購入した電動アシスト自転車「ハピネス号」がありました。次の挑戦を模索する本田君。そして購入したばかりの「ハピネス号」。

その二つを合体させることで、「ユウキのハピネス旅」がスタートしたのです。

本田君の旅の資金は、基本的にgooddoで応援してくださった方の志が詰まった支援金でした。といっても基本的に、gooddoで一週間に3万ポイントをクリアできたとしても、エネ協に振り込まれるのは、3千円ほどにしかなりません。それに加えて、直接いただいたカンパが本田君が一週間に使えるお金になったのです。本田君はそれでも、facebookに旅の記録を投稿し続けてくれました。閉店前のスーパーで安くなった食材を購入し、自分で煮炊きしながらの自転車旅。知り合った方のお宅に泊めてもらったこと。野宿したこと。FBに、夜露に濡れたテントと寝袋の写真がアップされることもありました。

私たち応援者は東京にいながら、本田君のアップした記事のひとつひとつにハラハラ、ドキドキし続けたのです。

一人の若者の旅の記録は、一人の若者の成長の記録で、記された言葉の背後に隠れた本田君の葛藤や苦悩を疑似体験する機会でもありました。春から始まったプロジェクトは、すぐに灼熱の夏を迎えます。しかしそれも長くはなく、秋になり、寒さが骨にまで達する東北で冬を迎えることになったのです。その頃になると、野宿の寒さが記される文面の端々から感じられるようになりました。それでも彼は、北海道最北端の地「宗谷岬」まで自力で辿り着き、東京に戻ってきたのです。

プロジェクトは半年以上続きました。その中で、本田君もいろいろな方に出会い、お世話になり、無事に東京に戻ってきました。

多摩で再会した本田君の体は、出発した時よりも、格段に絞られていました。自転車をこぎ続けたことが理由なのか、まともにご飯が食べられなかったからなのかはわかりません。いえ、そのどちらもがその理由なのでしょう。

多摩に戻りついた本田君から、「旅中止」の申し出がありました。基本的に野宿をしながら、自転車での日本半周は、精神的にも、肉体的にも、十分以上に厳しかったと推測できます。事故にも遭わず、無事に帰ってきたことを、私は評価したいのです。そして20代前半の若者が、次の夢に向かって新たなる挑戦を始めること、陰ながら応援したいのです。多摩エネ協として、本田君の旅をサポートすることは終わりにします。しかし、本田君は「いつか、残り半周を自転車でしたい」と表明してくれました。

人生とは、行き先が分からない旅です。本田君も、私たちも、それぞれの人生の中で、これからも旅をし続けるのです。次の夢を探して、次の出会いを心待ちにしながら。

本田、がんばれ!!! どこまでも、いつまでも夢を見続けよ!!

これまで本田君のことを応援してくださった皆様、本田に成りかわり、心からのお礼を申し上げます。半年以上、ありがとうございました。

ちなみに、「gooddo」の寄付金は、これからも多摩エネ協のプロジェクトの為に使われます。原発を使わない社会を夢見る「多摩エネ協」の活動に、皆様の毎日のクリックを、是非ともよろしくお願いいたします。

桃井和馬